距離を置いた方がいい予兆とは
「あれっ、この人ちょっと合わないかも・・・」
「あっ、この人もしかしてあまり関わらない方がいいかも・・」
人間関係において、そんな違和感を抱いた経験のある方は多いと思います。
決定的なものではないが、なんとなーくしっくり来ないモヤっとした感じ。
最初は小さな違和感でも、積もり積もると大きなヘドロと化す場合があります。
今回はそんな「少し距離を置いた方がいいかもしれない」予兆のある人について考えてみました。
↓予兆が的中するとエネルギーを吸い取る化物に進化していく場合があるよという記事はこちら↓
こんな人は危険かも?なんとなく感じる違和感6選
それでは、要注意な人物の特徴を下記にご紹介していきます。
話に水を差す人
みんなで会話をしている時に、話に水を差す人っていますよね。
それまで和やかに雑談をしていたのにその1人の発言によって場が盛り下がり、何となく強制解散になってしまった。
そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか。
例えば誰かの良いニュースや喜ばしい知らせを聞いて盛り上がっている時。
咄嗟に祝福の言葉が出なかったり一緒に喜ぶことが出来ず、「ついうっかり」余計な一言を言ってしまう人がいます。
人間の本性が「ついうっかり」出てしまう分かりやすい局面の一つですね。
あるいは友達グループの会話で友人のAさんが「聞いてよ、会社で今日こんな大変なことがあってね・・」と体験エピソードを話し始めた時。
Aさんの気持ちは「話を聞いて欲しい」ですから、友達ならそれを汲んでAさんの話をまず受け止めて共感するのが普通でしょう。
しかしこういう時に話を受け止めてあげることが出来ず、Aさんに対し的外れなアドバイスや的外れなお説教を始めてしまう人がいます。
なんでわざわざこのタイミングでそれを言うの?と周囲はドン引きです。「それは今やることではない」とその場の全員が思うでしょう。
このようにみんなが同じ方向を向こうとしている時に「その流れに乗ることができない人」「なんか(悪い方向に)ズレてる人」とは何なのでしょうか。
空気が読めない
一つは単純に場の空気が読めないタイプ。
本人は失礼なことや悪いことを言った自覚が無く、自分の発言で場がシラけてしまったことにも気がついていません。
悪い意味での天然です。なので同じことを何度も繰り返します。
空気を読めないのが悪いこととは一概に言えませんがモノには限度があります。
少しだけ視野を広げ周りの様子を気にかけて、みんなを困らせていることくらいは気づいたほうが良いですね。
自己アピールの仕方を間違えている
二つ目は自己アピールを履き違えているタイプ。
会話に加わりたい。しかし自分は周りの凡人達とは違う。鋭い視点で切れ味のある発言をして注目されたい。
そんな不要な自己顕示欲の下に底の浅い個性を無理やりひねり出そうと逆張り発言をし、結果自爆する人です。
実は大した個性も深い思慮も無いクセに「周りに同調するなんて〇ソだ」などと反骨心だけはいっちょ前に持っています。
周囲が引いてしまうような発言も本人はブラックジョーク、毒舌のつもりだったりします。
テレビのタレントさんを見ても分かる通り、毒舌とは「状況判断」「知性」「洞察力」「言語能力」「ユーモアのセンス」「受け手からの信頼」etc..全て揃っていないと成立しないハードルの高い領域です。
凡人が形だけマネしてもただ感じの悪いウザい奴にしかなりません。せいぜい外野から突っ込まれてあたふたしながら言い訳をするのがオチです。
単に性格が悪い
最後は一番お話にならないパターンです。単純に性格が悪い。
例えば誰かの良い評判や喜ばしいニュースを聞いて「悔しい、だから足を引っ張ってやろう」という思考回路になってしまう人。
他人が幸せなのが悔しいので、話題の中心になっている人物の文句や悪い噂をわざと流し、わざと人を不快にさせます。
人一倍負けず嫌いな割には真っ向勝負が出来ないのです。
「同期の〇〇さんが頑張っている、だから自分も頑張ろう」ではなく
「同期の〇〇さんが頑張っている、だから邪魔してやろう」になってしまいます。
明らかにおかしいですね。なんとも可哀想な人です。
また、性格の悪い人はどんな時でも自分本位な考え方をします。他人に共感しようという意識がハナからゼロだからです。
友達のAさんが会社でツラい体験をしたという話を聞いても「自分ならこう言い返してやった、自分ならこう対応した、それをしないお前が悪い」などと的外れな説教にすり替えひたすら自我を主張することを優先します。
口先だけなら何とでも言えますからね。
言われた相手や周りがそれを聞いてどう思うかなんて考えもしません。
Aさんは更に傷つき、その場の空気も悪くなり、何の解決にもならないまま妙な自己主張だけを押し付けられて強制解散です。
後に残るのはモヤモヤ感だけですね。
人の体調が悪いと不機嫌になる人
誰かの体調が悪い、怪我をした、落ち込んで精神的に参っている。
そんな時、関係ないのに何故か不機嫌になってしまう人がいます。
体調悪い側が日頃から仮病を繰り返しているわけでも、過剰に病人ぶっているわけでもありません。なのに「具合が悪い」と聞いただけで何故かご機嫌を損ねイライラしはじめる人。
意外と遭遇した経験がある方は多いのではないでしょうか。
正直このタイプの行動原理は謎ですが、筆者の観測する限りでもざっくり3パターンあります。
不機嫌になる
誰かの不調を聞いてムスッと不機嫌になってしまう人。
ムスッとしたまま「病院行けば?」「薬飲めば?」などととりあえず声だけはかけてきたりします。
これを最大限好意的に解釈すると「病気は心配だが心配している様子を見せるのは照れ臭いから嫌だ」でしょうか。
思春期の子供か。
病人に向かって、いい歳した大人がツンデレを発動するのはちょっと情けないですね。
ただツンデレ程度ならまだマシなほうで、別の例として
「コイツが不健康だと自分が困る」
というスーパーミラクル自分勝手を発動する人もいます。
パートナーや友人、仕事仲間を「自分の奴に立つマシンか何か」だと当然のように考えている思考の持ち主です。
マシンが壊れたら「自分が困るだけ」なので、具合の悪い相手に対して真っ先に飛び出すのは気遣いや労いではなく「じゃあ今日の夕飯はどうすればいいの?」「じゃあ明日の予約誰がするの?」などと良い年の大人から出てくるとは思えない不気味な言葉です。
窓から放り投げてやりたくなりますね。
何故か張り合ってくる
例えば「今日朝からずっと頭痛いんだよね」というと、
「アタシ(オレ)だって昨日から頭痛いしお腹も痛いし肩も腰も痛いもん!」と返してくる人。
何故張り合ってくるのか。
このタイプの心理は「自分も具合悪いんだからお前も我慢しろ」でしょうか。
そのくせ自分が本当に体調悪いと大げさに騒ぎ立てたりします。
大人同士の会話で気遣いの言葉が咄嗟に出ず、
「自分だって〇〇なんだからお前も同じようにしろ」という思想をナチュラルに押し付ける人はおそらく自他境界線が薄いのです。
自分と他人の境界が曖昧なので、人が自分と違う状態であることに対し理不尽に腹を立てます。
特に体調不良などという局面では「体調が悪い→休む→アイツだけ楽をするかも→ズルい!」となるのでしょう。幼児の負けず嫌いと身勝手さを兼ね備えたまま大人になった救い難い人です。
必死に否定してくる
「張り合う」パターンと似ていますが、人の体調不良をもっと正面から否定する人もいます。
「最近体調悪いんだよね」と言えば
「でも昨日は元気そうだったし先週も元気そうだったしさっきまで仕事してたじゃない、ほら大丈夫なんでしょ???」
と何故だか必死に否定してくる。
この場合の心理は「具合が悪いなんて甘えているに違いない、このアタシ(オレ)が暴いてやる」でしょうか。こういう人は、ホントは自身に心当たりがあるのかもしれませんね。
自分に甘く他人に厳しいタイプの人間は自分が一番に甘えたい深層心理を常に抱えています。
「自分以外のヤツが甘えた様子を見せるなんて許せない」と心のどこかで思っているのです。
そこへ実際に具合の悪い人が現れ、現状をただ伝えただけで「そんなの体調悪いアピールだ、許せない!」と脊髄反射で出てしまうのでしょう。
人を試す人
コミュニケーションの最中に「軽い気持ちで」人を試す言動をする人がいます。
態度をわざと変えてみたり変な質問をわざとして、相手がどう出るか試す人。
面接でも仕事の交渉でもない、対等なはずの関係なのに「コイツを試してやろう」という発想に至るところが危険信号です。
マウントを取りたい
やたらと質問を投げかけてくる人はこのタイプでしょう。
質問責めにすることで会話の主導権を握ったつもりになっているのです。
例えば私がちょっとニッチなジャンルについて詳しかったとします。そこに食らいついてきて、
「じゃあAは知ってる?じゃあBは?Cは?DとEは?ふーん」と矢継ぎ早に質問してくる人。
そのジャンルに興味があって聞いているのではなく、「隙を見せたら揚げ足をとってやろう」という意図が見え隠れします。
さらに質問しておきながら「分かってたけど敢えて試したくて聞いたんだよねー」などと言ってきます。
器の小さい人間だという感想以外無いですね。
構ってほしい
いわゆる「構ってちゃん」。
特に理由も無いのに急に不機嫌になってみせたりわざと意地悪なことを言って相手の様子をチラチラ伺う人。
LINEの返事をわざと遅らせるタイプもここに当てはまります。
本来ならばこのくだりは中学生ぐらいで一通り終わらせておいて欲しいものです。
相手が自分の言動で動揺したり考え込んだりしているのを確認し、それによって自分の存在を誇示した気になり満足するのでしょう。
他人への依存と支配欲が同時に表出しており、いろんな面で危うさを感じます。
人に恥をかかせようとする人
人間誰でもちょっとした失敗や間違いをすることはあります。
そんな時、「間違えた人に対してどのような態度をとるか」というところにも人間性が現れます。
わざと相手に恥をかかせるような指摘をする人、いますよね。
こうした態度は友人同士や会社内だけでなく、街中での振る舞いや店員さんへの接し方など、あらゆる面でつい出てしまうものです。
筆者の観測範囲では「この人は人間がよく出来ているな」と感じる人ほど、過ちへの指摘はさりげなくスマートで穏やかな印象です。相手への敬意や気遣いが感じられます。
そして真逆の人間ほど鬼の首を取ったようにギャーギャー騒ぎ立てたり、人の尊厳を奪うような否定をしたり。文字通り真逆の対応をします。
自分が同じ目に遭ってきた
「人に恥をかかせてやろう」などと考える人は、おそらくその人自身が過去に恥をかくような経験をたくさん重ねてきているのだろうと推測できます。その仕返しを、こともあろうに赤の他人に向けて発散しているのでしょう。
他人を利用して尊厳を傷つけることで昔みじめだった過去を払しょくし、自分が出世した気にでもなっているのかもしれません。大きな勘違いですね。
単なる意地悪
あるいはシンプルに性根が意地悪なのかもしれません。
「軽く嫌がらせをしてやろう」「ちょっと恥をかかせて様子をみてやろう」「笑いものにしてやろう」
そのようなことを当たり前に思いつき、実行する人がいます。信じがたいことですが性根が腐っている人間にとってはそれが日常であり何よりの娯楽なのです。
いくら軽い気持ちだろうと、意地悪の程度によっては立派なハラスメントです。
もし運悪くそういう人間が身近にいたら、どういうつもりで行動しているのか観察してみましょう。
人の時間を平気で奪う人
時間にルーズな人は多いと思います。筆者も自分のことだけなら非常にズボラです。
問題は他人に迷惑をかけるか否か。
「みんなの時間は貴方と同じようには流れていないんですよ」ということが分からない人です。
遅刻を繰り返す
約束の時間に必ず遅れてくる人。
大人数での飲み会程度ならまだ許容できますが、映画や観劇、予約した食事や乗り物など、遅刻されると困る場面も多々あります。非常に迷惑ですね。
例えばこの人が大事な商談や打ち合わせでも同様に必ず遅れるということであれば、それはもう何らかの病気ですので別問題です。
仕事では遅刻しないが仕事以外の場面では必ず遅刻するということでしたら、【気を許しすぎてルーズになっている】か【舐められている】のどちらかでしょう。一度真面目に話し合ってみてもよいかもしれません。
時間つぶしに他人を利用する
舐めているのか天然なのかわからないパターンです。
例えば友人から連絡が来て「〇〇日14時にお茶しよう」と誘われたとします。
当日14時に行ってみると「実は今日夕方から用事あるんだ、だから15時には解散ね」とその場で初めて言い出す人。
えっ1時間程度のために人を呼び出したの??
自分が【時間つぶし要員】にされて気分の良い人はいませんね。
何故最初に誘う段階で「お茶したいけどその日は用事がある、14時から15時までになるけどどうかな」と言えなかったのでしょうか。事前に一言あれば生じない問題です。
一度そういう目に遭うと身構えてしまいます。かと言って、誘ってきた人のスケジュールを誘われた側が毎回確認するのもおかしな話ですよね。
本当に時間つぶし要員だと思っているのかもしれないし、失礼だと気づいていない超ド級の天然なのかもしれない。どちらにしろ誠実さに欠けることには変わりありません。
小さな嘘を重ねる人
呼吸をするように嘘をつく人がいます。
しかしここで取り上げるのは「自分をよく見せるための虚飾」「誰かを陥れるための虚言」のような分かりやすい嘘ではありません。
「その嘘に一体何の意味があるの?」というレベルの小さな嘘です。
例を挙げると、
・朝6時に起きたのに8時起きだという
・知っているはずの芸能人を知らないフリする
・小さいころに猫を飼っていたのに犬を飼っていたと言う
・前に好きだと言っていたテレビドラマを「見たことない」と言う
その嘘で誰も得しないし損もしない。誰かに気を使ってそう言わざるを得ないわけでもないし、それにより話が盛り上がるわけでもない。
聞く側からすれば「どっちでもいいわ」でしかない小さな嘘やごまかしをなぜか繰り返す人がいます。
呼吸すると同様に、無意識に口から出ているのでしょうか。
極度の日和見主義
一つ考えられるのは、「周囲に気を使いすぎて自分でも訳がわからなくなってしまった」パターンです。
聞く側からすればどっちでもいいことでも、本人の中には緻密な計算があったのかもしれません。
Aさんが〇と言えば「そうですね、私もそう思っていました」と言いBさんが✕と言えば「そうですね、私もそう思っていました」と言う。
仕事上なら仕方なく太鼓持ちをせざるを得ない状況もありますが、プライベートでも常時この調子ならその主体性の無さはちと危険信号です。
周りから浮かないようにしなきゃ、嫌われないようにしなきゃ、みんなに合わせなきゃ合わせなきゃと風見鶏を繰り返しているうちに、何らかの防衛本能が染みついてしまって「他人に真実を全て伝えてはいけないのだ」と思いこんでしまっている可能性もあります。
何か事情があるのか親切心で風見鶏さんに訊ねても、本当のことは教えてくれないかもしれませんね。
実は話を聞いていない
もう一つの可能性としては、「実は最初から会話に参加する気が無い」というパターン。
今置かれているコミュニティ内のトーク自体に興味が無い。内心はドライでどうでもいいと思ってるが、一応良い顔はしておきたい。
こういう人は要領が良いので一見非常に聞き上手で話しやすく見えます。
いかにも相手の話を聞いている風に装いながら脳内では別のことを考え、ただ適当に相槌を打っているだけかもしれません。
その場その場で調子を合わせて返事をしているだけなので、過去の会話と食い違いが生じていても当の本人は気づいていない。
ただ本人は気づいていなくても、周りが余程のバカでない限りだんだんと「この人はやけに小さな嘘をつく人だな」と流石に感づいてきます。そのうち適当に話を合わせていることにも気づくでしょう。
小さい嘘のため大きな害は無いとはいえ「平気で嘘を付き続ける人」と真の信頼関係が築けるかと言われると難しいところです。筆者ならこういうタイプと腹を割って話すのはやめようと思ってしまいます。
だんだんと周囲の信用が無くなってしまうかもしれませんね。
まとめ
上記の事例に共通するのは
「相手を尊重していない」
ということです。
信頼というのは少しずつの積み重ねで築かれていきます。
どんな人間もパーフェクトな聖人君主ではないので、時には多少「えっ」と思う言動をしてしまうことは誰にでもあると思います。
それでも周りの人との関係性が確固たるものだったり、他の面で挽回できていれば良いのです。お互い様ですから。
人間とはお互い尊重しあい、欠点を補いあいながら生きていくものです。
しかし「えっ」と思ったまま挽回されることもなく、信頼だけがちょっとずつ削り取られてそのうち消えて無くなってしまう場合もあります。
一方が誠実に接していても他方が不誠実ならば、両者のバランスは崩れて当然です。
「なんとなくの違和感」の頻度があまりにも高い、程度が酷すぎる、反省も無い、ということであればその人との関係性を考え直してしまいますね。
身の回りに「人を尊重しない傾向が見られる人」がいないか、何より自分がそうなっていないか、少しだけ気をつけてみてもいいかもしれません。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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