嫌な人と縁を切ったその後~傷ついてもドン底から這い上がれる~

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人間探求
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本記事は「縁を切るべき人」の続きになります。

↓「縁を切るべき人6選」の記事はこちらから↓

この先楽しく輝かしい人生を送るために、切るべき縁はバッサリと切り、不幸をもたらすモノと永久にさよならできましたでしょうか。

今回は「縁を切ったその後」についてのお話です。

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前を向いて生きていく

「ずっと我慢して聞き流していたがとうとう限界がきた」

「ある日突然とんでもない裏切りを受けた」

「味方だと思っていた人が味方ではなかった」etc…

人間関係を断捨離するというのは、そこまで追いつめられる余程のことがあったからこそです。

知り合いだった人と縁を切るほどの出来事を体験した貴方は、深く深く傷ついていることでしょう。

処理しきれない感情が襲ってきて苦しくなることもあると思います。

そんな時、味方になってくれるのは他でもなく自分自身です。

まずは生きましょう

心に受けた深い傷はいつ癒えるかもわからず、貴方の心臓をえぐるように断続的にシクシクと痛み続けるものです。

ツラさ、怒り、悲しみ、混乱、あらゆる感情が渦巻いてパンク寸前になることもあるでしょう。

いつ収まるか分からない苦しさに耐えかね自暴自棄になってしまうかもしれません。

ですが、どんなに辛くても決して早まるようなことをしてはいけません。

貴方にもし何か不幸なことがあった時。

ゲラゲラ手を叩いて大喜びする奴がいます。

ニヤニヤ薄ら笑いを浮かべながら顔を見合わせる奴らがいます。

笑いたいのをこらえて醜く顔を歪ませ肩を震わせる奴もいます。

そういう連中を喜ばせたいですか?そんなわけ無いですよね。

でも喜ばれるぐらい存在を意識されているならまだマシとも言えますよ。

貴方の不幸を聞いて、上っ面だけ悲しそうにウルウル涙を浮かべながらその日の晩にはどこ吹く風、SNSに満面の笑みで自撮り載せてる奴もいるでしょう。

「へえーそうなんだあ」とスマホを見ながら興味無さそうに空返事をして5分後にはすっかり忘れている奴もいるでしょう。

そんなもんです。

現実はドラマや映画とは違うので、貴方が消えたところで心根の腐った人間が改心することはまずありません。

クズはどこまでもクズ。醜い者はどこまでも限りなく醜いのです。

貴方がどれだけ苦しんでいようが、奴らにとってはどうでもいいこと。すぐに忘れられてしまいます。

そう思ったら、悩むのがバカバカしくなりませんか?

貴方はちっぽけでどうでもいい存在です。

貴方には何の影響力も無いし、いくらでも替えがききます。

だからこそ貴方は自由です。

せっかく切るべき嫌な縁を切ったのです。

この先は存分に、際限なく幸せになりましょう。

ちっぽけでどうでもいい存在だからこそ、貴方には幸せになる権利があります。

今まで苦しみに耐え抜いたということは、貴方にはそれだけの馬力があるということです。

その強靭なスタミナを、今度は自分のために、自分を幸せにする方向に使いましょう。

そして、貴方に何かあった時にちゃんと悲しんでくれる人とともに生きていきましょう。

まずはゆっくりでいいので、傷ついた心と弱った身体を回復させることです。

日常生活を穏やかに過ごせるところまで元気を取り戻しましょう。

貴方の選択は正解です

穏やかな日常生活を取り戻せるようになったら、少しだけ振り返ってみてください。

切るべき相手と縁を切って良かったですか??

体験談①~後悔の無い選択を

別記事でも触れていますが、筆者には、過去に友人と縁を切った経験があります。



世の中には信じられないくらい嫌な人がいます。想像を絶するほど性格の悪い人もいます。

そんな「嫌な奴」と縁を切ってホッとした、安心した、心から良かったと思えるならその選択は大正解です。貴方の選んだ道は幸せの道です。

我慢する必要はありません。貴方の人生に不要なものは切って良いのです。

ただしばらくはストレスフルな記憶がフラッシュバックすることがあるかもしれません。

私も上の例に書いた元同期の女性が放つヒステリックな金切り声が今でもふいに脳内に響き、悩まされることがあります。実に不愉快極まりないものです。

「もしかして生霊が憑いているのかもしれない」と思うほど体調を崩すこともありました。

話の方向性が逸れるので掘り下げませんが、人の足を引っ張る事や人を傷つける事が生きがいの人間が持っている負のエネルギーはそれほど凄まじいということです。

もし嫌な記憶スパイラルから抜け出せなくなってしまったら、断ち切るための自分なりの「儀式」を作るといいかもしれません。

例えば

・物理的にスッキリした状態を作る(顔を洗う、頬を軽く叩く、シャワーを浴びるなど)

・環境を切り替える(外に出て違うことをする、家族と会話する、信頼できる友人に連絡するなど)

・分かりやすくストレス解消をする(大声を出す、寝る、買い物をする、嫌なことを紙に書いて破るなど)

など。

筆者は詳しくないのですが、気持ちの安定に繋がるならばパワーストーン等をお守り代わりに持ったり縁切り神社に行ってお祓いしてもらうなど、見えない力に頼るのも良いでしょう。

何にしろ、そんな莫大なマイナスエネルギーを持つ相手に取り込まれず切り離すことができた時点で、貴方は十分に強いのです。もっと自信を持ってください。

楽しいこと貯金をしよう

辛い心境の中で少しでも自分の気持ちが上向くことがあったら、その小さな幸せを大切に心に貯めておきましょう。

【楽しいこと貯金】です。

「お昼に食べたラーメンが美味しかった」「ハーゲンダッツを買いだめした」「偶然見たテレビが面白くて久しぶりに笑った」その程度でいいのです。

ささやかな楽しみ・喜びが少しずつ貯まっていくと、不思議なことに気持ちもだんだん楽になってきます。

もちろん最初のうちはツラい感情でいっぱいですから、それどころじゃないと思います。

途中でしんどくなったら貯金を少し崩して、好きなだけぐうたらするのも良いでしょう。

「ぐうたらする」や「怠ける」ことを「悪いことだ」とは考えないでください。

貴方には時間が必要なのですから。

【楽しいこと貯金】は1円玉貯金レベルに時間がかかります。

でも、時間をかけてコツコツと貯めた「楽しい」が一定ラインを越えたあたりから、複利レベルで効果が増していくのが実感できるはずです。

その頃にはかなり心も軽くなっているでしょう。

【楽しいこと貯金】が満期になった頃には、「何か出来そう」と次の一歩に繋がる準備ができているかもしれません。

世界はひとつではない

【楽しいこと貯金】が貯まって少し気持ちに余裕が出てきたら、もう一つ振り返ってみましょう。

元いた世界に、前の状態に戻りたいですか?

まだ未練がある人、人間関係は切り離したいが前の世界には戻りたい人、二度と戻りたくない人、色々あるでしょう。

筆者の場合はムリでした。

思い入れのある世界から理不尽に切り離されるというのは、人間関係の切り離し以上に苦しいものです。

しかし大丈夫です。世界はひとつではありません。

貴方を取り巻く環境は半径数メートルの狭い世界だけではありません。

貴方に合う世界はいくらでもあるし、ストレスや違和感を抱えずに付き合える善き友人は外の世界にいくらでも居ます。

そして切り離された世界の外側に立ってみると、以前には見えなかった元の世界の不合理性や歪さが浮き彫りになることもあります。これは俯瞰で見てみないと気づかないものです。

狭い組織の中にいるとどうしても「内集団バイアス」がかかって、一つの世界に対し盲信的になってしまうことがあります。

学生時代にありがちですが『うちらのメンツマジ最強wwうちらマジ全員キャラ濃いわーw』みたいな、狭い集団内でしか通じない稚拙な自尊心と同じです。

しかし学生ならばいずれ外の世界に出ますから、その過程で自分たちが強くも濃くもない平凡な一般人であることを思い知る時が嫌でも来るでしょう。

そう、このバイアスは大人になればなるほど抜け出しにくくなるのです。

大人になっても外の世界に出そびれた人ほど固執してしまいます。その狭い世界はとても居心地が良いからです。

居心地の良い世界から離れるのは苦しいですよね。

人の悪意で無理やり押し出されたなら尚更です。筆者は未だに強烈な悪意の矢が刺さったまま、一時期は記憶障害を起こすほど苦しみました。

しかし腹を括って一度外の世界へ飛び出してみると、意外とイージーにもっと幸せな居場所が転がっていたりします。

そこで前にいた狭い組織を俯瞰で振り返ってみましょう。

「何故あんなに固執していたんだろう?」と疑問に思うほどその場所の魅力は褪せ、小さなコミュニティ特有のおかしな点ばかりが目について見えるかもしれません。

世界はひとつではないことを身をもって体感できると思います。

その時点で、貴方は階段を着実に登っています。

必要なのは勇気と割り切り、そして少しの好奇心です。

戦ってもよいのだ

怒りのススメ

よく理不尽な出来事に対して「感情的になったら負けだよ」「怒ったら相手と同レベルだよ」と、使い古された表現でたしなめてくる人がいますね。

ある意味正解ですがある意味無責任だと感じます。

確かに心が穏やかな状態は理想です。

嫌なことを記憶から消し去るよう努力し、別のことに集中して気を紛らわせ、平穏を保つ方法もあります。

それで貴方の気持ちが晴れるならそれでよいでしょう。

でもこうも思いますよね、「それが簡単に出来るなら苦労するかボケ」。

許せないことには大いに怒ってよいのです。「気にしてないフリ」なんてしなくてよいのです

自分の感情を誤魔化してまで我慢する必要はありません。

「貴方が幸せになることが一番の復讐だよ」などという言葉もありますよね。

では今まで何の問題も無く幸せに過ごしていたのに、その幸せを悪意でわざとぶち壊された場合はどうでしょう。

「突然平穏な幸せをぶち壊された人」に同じ言葉をかけることが出来るでしょうか。

世の中には何故か「加害者をかばっておきながら被害者には更なる努力を強いる」風潮が存在します。

【自分勝手に振る舞い他人に迷惑をかける人間】は得てして周りから「あの人はああいう人だからいちいち気にしてたらキリ無いよ」とフォローされがちです。

ああいう人だから」なんなのでしょう?それで罪が許されるとでも言いたいのでしょうか。ちゃんちゃらおかしいですね。

理不尽な相手に対し泣き寝入りなどせず、怒りをエネルギーに変えて行動に移すのは全然アリだと個人的には思っています。

だって悪いのは100パーセント相手側なのですから。

ただ気をつけて欲しいことがあります。

怒りに飲み込まれていはいけないということです。

①怒りの矛先は「直接の相手」限定です。決して無関係の人や自分自身を傷つけないよう気をつけてください。

②怒って感情的になった貴方を【すかさず悪者に仕立て上げようと罠を仕掛けてくる】ゲスな人間がいます。その罠にだけはハマってはいけません。

怒りが生きるエネルギーになるのは事実ですが、やり方は選ぶ必要があります。

世の中には自分から攻撃しておきながら被害者ぶって周囲にアピールするク〇もいるからです。場合によっては貴方が不利になってしまうことがあります。

一つの感情だけで頭をいっぱいにせず、冷静な自分をどこかに残しておきましょう。

正攻法のススメ

縁を切った人間とはもう二度と関わりたくないと思うのが人間の心情ですが。

【縁を切ること】と【受けた損害について責任を取らせる】ことは全くの別問題です。

「縁を切った人間のせいで受けた傷が未だに残っている」

「縁を切ったはずの相手がまだ周りをウロチョロして迷惑している」

「せめて謝ってくれたら済む話なのに相手がうんともすんとも言わない」

そのような時は迷わず法律の力を借りましょう。

日本では法律家を頻繁に利用する風潮はあまり無く、何となく敷居が高いと感じる方もいるかもしれませんが、利用してみるとそれほどハードルの高い場所ではありません(多少の金銭的負担はもちろんあります)。

かと言って病院の先生に話を聞いてもらうのとはわけが違うので、ある程度の準備が必要です。

ここでのポイントは

①【客観的事実】と【何を伝えたいのか(自分の意思)】をあらかじめきちんと整理しておくこと

②感情に流されず、理路整然と説明すること

③証拠があるならば用意しておくこと

の3点です。

別にプレゼンのように流暢に喋る必要はありませんが「言いたいことがうまく伝えられなかった」と後悔しないよう最低限の下準備はしておきましょう。

こちらが「きちんと」「正直に」「的確に」説明しさえすれば、専門家の先生方は法律という観点から冷静に現状を再構築し、法の力で何ができるかを説明してくれます。

直接の解決に繋がるかはハッキリ言って問題に寄ります。

ですが専門家に話を聞いてもらうだけでも精神的に楽になるのは間違いないと思います。

楽になったところで一時休止するのも良し、もし「このまま解決したい」「決着をつけられそうだ」と思ったら、次のコマに進むのも良いでしょう。

口だけ出したがる奴に注意

貴方がピンチの時、貴方が悲しみのどん底にいる時。

「頼んでもいないのに」「勝手にしゃしゃり出て」あれこれ言ってくる第三者が湧いてくることがあります。

ネット上の有象無象ではなく、現実の知り合いの話です。

その人物は落ち込んでいる貴方に対し、的外れなお説教をし始めるかもしれません。上から目線でわざと辛く当たってくるかもしれません。

なぜわざわざ首を突っ込んで余計な口出しをするのか?一つには他人の揉め事が楽しくて仕方ないから、一つには「弱ってる奴に手厳しい正論をビシッと言えちゃう冷静な自分」に酔っている真性のク〇だからです。

身の回りで問題が起きた時、個々の事情を想像できずお粗末な理解力で首を突っ込み正論めいたことを声高に主張してくる人間は往々にして口先だけのク〇です。

実態は外野からただゴミを投げているだけ。

安全な場所から言うだけ言って気持ち良くなったら満足してサーッといなくなり、後は無責任に知らんぷりを決め込みます。

場合によっては新たな揉め事の火種となります。世話焼きでも𠮟咤激励でもなんでもない、ただの放火魔です。

体験談②~人がツラい時にゴミを投げてきた知人

貴方が辛くて苦しい時に、興味本位で楽しそうに近づいてくる人間には注意してください。

どんなにしんどい時でも【本当に心配して声を掛けてくれた人】【ゲスな好奇心でただ出しゃばってきただけの奴】の区別くらいはつくと思います。後者には要注意です。

もしそいつがゴミを投げてきたら「人間の本性を知れてラッキー」と思ってください。

迷うことはありません。貴方のテリトリーから永久に排除しましょう。

縁を切った周りの人間関係をどうするか

「縁を切った人と共通の知り合いとはどう接していけばいいのか?」

当然浮かぶ悩みですよね。

縁を切った相手と貴方の関係、縁を切った相手と周囲の人間の関係、周囲の人間と貴方との関係性・・

それらをひっくるめた上で時と場合による、としか言えません。

貴方がその知り合いとどうしても関わりたいかどうかです。

筆者の場合は、上の体験談に挙げた通りです。環境と事情が許すならば

基本周囲の人間も全員距離を置きます。全員サヨウナラです。

ただでさえ深く傷ついて余裕のない時に「共通の知り合いの中の誰が味方で誰が敵か」などという眇眇たる事に心を割いていられないからです。

とりあえず関連する人間全てから一旦離れます。

残念ですが仕方ないです。それだけ辛い思いをした証だと思っています。

二度と関わりたくない者と絶縁したのに、その周りの人間とダラダラ交友を続けているようでは、完全に縁が切れたとはいえません。

コミュニティ内には「日和見主義」的な人間が必ず1人か2人はいるので、間に立つふりをして様子を伺ってくるかもしれません。そんなの気にしていたら余計に人間不信になってしまいますよね。

縁を切った相手側にこちらの情報を勝手に洩らされ、面倒なことになる可能性も大いにあります(経験談です)。

それに周囲の人から妙に気を使われたり、様子を探られながら接していくのも気まずいでしょう。

だったら距離を置いた方がお互いのためです。

中には傷ついた貴方を心配そうな顔で見つめてくる「共通の知り合い」もいるかもしれません。

自分のことを心配して見守ってくれてるのだと、つい勘違いしてほだされそうになりますよね。

でもたぶんそういう人は「心配そうな顔で永久にただ見ているだけ」だと思いますよ。何ら実質的な力になってくれるわけではありません。

他人の中途半端な見せかけの優しさに振り回されるのではなく、まず自分の心身の健康を自分で整え維持することを最優先としましょう。

少しでも心がザワザワするところには近づかない。気持ちが平穏でいられる道を選択してください。

周りの人には別に特段の非は無いのですが、仕方ないですね。

もしご縁があれば再び繋がるきっかけがどこかで出てくることでしょう。

ご縁が無ければ永遠にサヨウナラ。それでいいと思います。

言語化のススメ

「自分の感情を言葉にする」という行為には恐怖や不安を軽減する効果があると言われています。

心理学で「感情のラベリング」と呼ばれるストレス緩和の方法の一種です。

また一般的なトラウマの治療でも「エクスポージャー療法」という、不安や恐怖に敢えて向き合う治療法が存在します(専門的な話なので詳細は割愛します。ご興味のある方は調べてみてください)。

辛いことを思い起こし言語化するのは大変しんどい作業です。

しかし、思い出して形にまとめることで頭が整理され、脳がクリアになる効果もあります。

体験談③~遺書のススメ

病院の治療とは無関係に、私は自主的に自分の遺書を作成し保管しています。別にヤケを起こす気はありません。

そこに現在解決していない問題について出来る限り詳細に書き記し、形として残るようにしています

今後もし私に事故や病気、天災など不測の事態が起こったときに、抱えているトラブルが「無かったこと」にされるのは本意でないからです。

問題を起こした側は、私が消えればこれ幸いと永久にうやむやにしたがるでしょう。

そこで、相手方が安心したり喜んだりしないための牽制の意味で作成しました。

手持ちのカードは多い方が安心できるので「保険」の一つとして残しているだけで別段法的拘束力のある文書などではありません。

このピタゴラスイッチが発動する可能性は低いですが、不思議なことに「自分に何かあっても安全弁があるから何とかなる」と思うことで逆に精神的余裕が生まれそれによって生活や行動に変化が出てきます。


私は「いつ自分が〇んでもいいように」という意図で作成しましたが、別にそんな重たい覚悟など必要ありません。

「単に頭を整理する目的で書きとめてみる」だけで良いと思います。

大事なのは「グチャグチャな頭の中を整理して形にする」ことです。

形式も、日記でもブログでもいいしメモ書き程度でもよいでしょう。絵が得意ならイラスト、音楽が得意なら一曲作るでもなんでもいいと思います。

「表現をする」ことで意外なほどにスッキリできます。

※ただし、これらの作業は必ずある程度傷が癒えてからにしてください。傷が深い重症の時にツラいことを思い返す必要はありません。先に書いた「楽しいこと貯金」がある程度貯まり、気持ちに余裕が出てきてから実行することをお勧めします。

ツラい感情を何らかの形で表現し向き合うことができるようになれば、今までと比べ気持ちが自由になりつつあるのを感じられるでしょう。

自由とは即ち「幸せに続く道を歩いている」ということに他なりません。

まとめ

人間を断捨離するレベルで深く傷つく出来事を経験した貴方。

しばらくは暗いトンネルの中を歩くような状態が続くかもしれません。

しかし、ツラい出来事も「こういう時こそ人の本性が見える」という意味では有用だったといえます。

問題を起こした当事者の対応、その周りの関係者の対応、第三者の対応・・

「本当に自分の味方になってくれる人」「そうではなかった人」がはっきりと可視化できたのではないでしょうか。

これはしんどい思いをしなければ分からなかったことです。

長期的に見て【人間関係を見直す良いきっかけ】だったと思えればしめたもの。

そして何より悩み苦しんだ貴方自身は確実に階段を上っています。

トンネルの出口、光明はすぐそこです。ぜひ大手を振って新しい世界に進みましょう。


それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

hirari@hirarisanpo.

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